つまり良かれと思ってやったことも、相手の取り方次第ではいらぬお世話ということだ。
それは、状況・立場・方法などにもよるが、あくまでこちらの基準ではなく、相手が基準である。
どんなに素晴らしい方法・条件・タイミングであっても、相手が『余計なこと』と思った瞬間に無駄になる。
大抵の場合、その重きが


相手の状況や気分 > こちらが良かれと思ってやったこと


になっている場合に成立する。
考え方によっては、足し引きの『算数』のようなものか。
相手の気分や状況がマイナスになっているのに対して、こちらがプラスの事柄で埋めていく。
結果的にプラスの位置へ持っていけなければ『余計なこと』に。プラスへ行けば『ありがたい』etc.なことに。


何かをしたい・してあげたいという気持ちが純粋なものであっても、相手が『偽善』だと思ったりすれば全てが意味合いをなくすわけでもあるが。




とまぁ、良く分からないことをつらつら書き殴った南雲です。
ちなみに上記の例は、相手と自分に近い第三者が否定しても少し違いますが、同じようなことになります。
その場合『自分−相手』ではなく『その第三者−自分』の中でですが。


自分のしたことを否定される。しかも第三者に。しかも生きる価値が無いというレベルのことを言われたらどうでしょう。
まぁ実際言われたことがあるから書いてみたんだけどね。(´-`)


意見求めてるならともかく、いきなり否定は無いよな…落ち込んでる時に言われてたら、富士の樹海へ片道切符だったかも知れん('A`)
…3年くらい前だけどな。